인터뷰

中澤卓也、レーシングの夢から歌の舞台へ、ファンと共に歩む「たく家」の物語

中澤卓也さん

アーティスト
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中澤卓也、レーシングの夢から歌の舞台へ、ファンと共に歩む「たく家」の物語
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2017年1月に『青いダイヤモンド』でデビュー後、優しくのびやかな歌声で多くのファンを魅了し続けるプロ歌手の中澤卓也さん。CDリリースやコンサートで活躍する一方、有料会員制ファンコミュニティプラットフォーム「Fanicon」で開設している、中澤卓也・公式ファンコミュニティ「たく家」やSNSを通して、ファンと積極的なコミュニケーションを図っています。 まるで「家」に集まるような空気感で、ファンを迎え入れる中澤さんならではの心をつかむ秘けつとは。歌手としてのキャリアと共に、聞きました。

■高校まではレーシングドライバーを夢見ていた

――幼少期から音楽にふれていたそうですが、どのような環境で育ったのでしょうか?

特別な「音楽一家」というわけではなかったのですが、両親ともに吹奏楽部出身で、自然と音楽にふれていましたね。家族で出かけるときは、父が好きな音楽を車で聴いて、大黒摩季さんや浜崎あゆみさん、矢沢永吉さんと、幅広い音楽を聴いていました。

――プロフィールでは「人前で歌うのも好きだった」と拝見しました。

好きでした。子どもの頃は、親戚の前でもよく歌っていたり。印象に残っているのは小学校時代の経験です。僕の通っていた小学校では、昼休みに全校生徒の前で一芸を披露する「ミュージックカップ」という恒例行事があったんです。当時、極度の人見知りだったのですが、小学2年生のときにふと応募して、森山直太朗さんの「さくら」を歌い、周りの生徒からたくさんの拍手を浴びて、うれしかった記憶があります。

――その後、歌の世界へのめり込んでいったのですか。

いえ。音楽は好きでしたが、兄の影響でレースゲーム「グランツーリスモ 」にハマったのをきっかけに、レーシングドライバーになりたいという夢ができたんです。元々、幼少期からミニカーで遊ぶのが好きなほど車が好きでしたし、小学3年生から高校にかけては、レーシングカートのスクールをやっていました。

――レースの世界から一変、なぜ、歌の世界へ進んだのでしょう?

モータースポーツを続けるにはお金がかかり、両親に多くの負担をかけていたので、高校2年生の時、後ろ髪を引かれながらもレーシングドライバーの夢をあきらめました。
ただ、勉強ができるわけでもなく、進路をどうしようかと迷っていたときに助言してくれたのが祖母でした。地元の長岡市に「NHKのど自慢」が来るから「レースを辞めたなら、出てみれば」とすすめてくれて、祖母としては、幼い頃に親戚の前で歌っていた僕の姿が印象に残っていたみたいで。何かのきっかけになればと思い応募して、予選、決勝と進み、チャンピオンを獲得できたのが2013年でした。

■「日本レコード大賞」の新人賞獲得で両親へ恩返し

――「NHKのど自慢」のチャンピオン獲得後は、作曲家・田尾将実先生に師事されたそうですね。

レコード会社の方から「歌手になりませんか?」と連絡をいただき、紹介されたのが田尾先生でした。ただ、作曲家の方のレッスンというと「ピアノの前でマンツーマンで指導される」というイメージでしたが、最初の1年は、先生に渡された発声練習用のCDを参考に、ただ1人、先生とは別の部屋で自主練するのみで驚きました(笑)。


その理由が分かったのはレッスン開始から1年後で、「心に響く歌は、何をしていても手を止めてしまう。いつも、食事の準備や洗濯をしながら君の歌を聴いているから、俺の手を止める歌を歌えるようになれ」と先生から聞いて。「なるほど」と納得したし、ようやく認めてもらえたのか、2年目からは課題曲のレッスンができるようになりました。

――その後、2017年1月に『青いダイヤモンド』でデビュー。プロ歌手としての実感が湧いたのは、いつでしたか?

デビュー曲をレコーディングしたタイミングです。正直、レッスン期間は、実感が湧かなかったんです。ただ、必死で。レーシングドライバーの夢をつかめなかった思いもあったし、お金をかけてくれた両親への申し訳なさもあったので、何がなんでも「歌手としてステージで歌う姿を見せなければ」という一心でした。
初めてのレコーディングでは、メロディがプロの手によりその場でアレンジされていく光景や自分のために、弦楽器や管楽器などを弾く方々がたくさん集まってくださったのも感動でした。

――デビュー後、ご両親への恩返しもできましたか?

形で示せたと思ったのは、デビュー年の「日本レコード大賞」です。新人賞をいただき、表彰式のステージを両親や兄弟が客席から見守ってくれたんです。いい意味で干渉しない家族なので、何かお祝いの言葉をかけてくれたわけではないんですけど、歌っている姿を見ながら笑顔を向けてくれました。

――デビュー当時から見守っていらっしゃるファンの方も?

います。ファンの方の前で歌手デビューをしたのが、錦糸町にあるCDショップのイベントだったんですけど、当日、現地の入り時間を間違えるハプニングもあって…(笑)。でも、その日にCDショップへ来てくださった方々が、今もコンサートへ熱心に足を運んでくださっているんです。自分が何者でもなかった頃から、支えてくださっている方々いるのはありがたいなと思います。

■独自のファンクラブは、SNSより濃く奥底の思いを伝えられる場所

――デビュー6年目の現在は、有料会員制ファンコミュニティプラットフォーム「Fanicon」でご自身のファンコミュニティ「たく家」を運営しています。開設の経緯は?

デビューしたレコード会社との契約終了がきっかけで、環境が変わるタイミングで新たな試みがしたかったんです。22年6月の開設当時はまだコロナ禍だったので、中澤卓也を支えてくださる方々との仲を濃くしたいと思ったのも理由でした。

――入会者の約85%が50代以上の女性で、中澤さんの地元・新潟県在住の方々だと伺いました。日々のコミュニケーションで、心がけていることはありますか?

ファンのみなさんとの距離を縮めたいと思っています。アーティストとファンの関係性は、一定の距離が空いてしまうことが多いと思うんですけど、僕は嫌なんですよ。こちらがきちんと軸を定めた上で、最低限のルールを守ればいいわけですし、自分の息子のように見守ってくださるファンの方々が多いので、家族のような距離間でふれあっています。

――クローズドな「たく家」を活用している一方、TwitterやInstargramなど、オープンなSNSも活用しています。たがいの差別化は意識していますか?

ある程度はしています。SNSは誰でも見られるがゆえに、ファンのみなさんへ「本当の自分」をさらけ出せていない部分もあると思うんです。「たく家」は、より濃い場所で奥底の思いを伝えられる場所だと捉えていますし、ファンコミュニティ名にもある「家」に集まってくれる人たちは、高い熱量で応援してくださっている方々だと感じています。

――それぞれ、投稿内容は差別化していますか?

TwitterやInstargramではテキスト、「たく家」ではムービーを中心に発信しています。テーマの「家」にちなみ、パジャマ姿をアップすることもあって。僕の素を見てもらえればと思っています。

■独自のファンクラブは、SNSより濃く奥底の思いを伝えられる場所

――SNSではテキスト中心で発信されているようですが、オープンな環境での発言では、何を意識していますか?

さほど気にしているわけではないですが、ファンのみなさんを守りたい気持ちはあります。ざっくばらんに話し過ぎると、やはり、よからぬコメントが来ることもあるんですよ。
僕を支えてくださっているファンの方々の中には、SNSに慣れていない方もいて。僕の情報を追うために、ガラケーからスマホに買い換え、SNSの使い方をゼロから覚えてくださった方もいるんですけど、SNSに慣れていないためにコメントを真正面から受け取ってしまう方もいるんです。批判的なコメントに対して「自分たちが言われているのでは…」と落ち込んでしまう方もいるので、それを回避する発言をしようとは心がけています。

――ファン思いなんですね。Twitterでは、中澤さんに関連したツイートを積極的にリツイートされていて、反応も熱心にチェックしていらっしゃる印象を受けました。

頻繁にエゴサーチしていますし、ファンの方に喜んでほしくてリツイートしています。実際、僕もアーティストの方からリアクションをいただいて、うれしかった経験があるんです。数年前、コブクロさんに関するツイートをしたら、コブクロの黒田(俊介)さんから「いいね!」をいただいたことがあって。その時、日中はずっとハッピーな気持ちになれたので、僕もやってみようと思いました。

――ネットでの交流はもちろん、コンサートにも熱心に足を運んでくれるファンのみなさんは、中澤さんにとってどのような存在でしょうか?

やはり、家族の一言です。アーティスト側とファン側が気を使い過ぎてしまうのは、本当の「絆」とは言えないですし、この先も近い距離感を保ち続けたいと思っています。「たく家」では自由な空気感を出すために、僕もより自分をさらけ出していきたいですね。
じつは、開設前には「サイド・バイ・サイド」というファンクラブ名も考えていたんです。かつて夢見ていたレースの世界の言葉で、車同士がタイヤが接するほど近い距離で隣り合う状態を表したものなんですが、近くで寄り添いたい気持ちはそのままに、これからもファンのみなさんと接していきたいです。

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